綿野恵太『「差別はいけない」とみんないうけれど』
- 買っていたのに長らく読んでいなかった
- ポリティカル・コレクトネスについて
- 「差別はいけない」というのは大前提
- 反差別に反発する人がいるのは何故か
- かつて差別を批判できるのは当事者だけだったが、いまや誰もが批判できるようになった
- アイデンティティからシティズンシップへの転換
- 自由主義と民主主義のちがい
- 差別においては、行為者の意図とはかかわりなく、行為の結果によって責任があるかどうか判断される
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弱者をまえにして自己改悛し、自己改悛したことで他者を罰する権利を獲得するという「審問の語法」が「ポリティカリーにコレクト」な「ポストモダン」思想にひろく見られる ―内田樹
- 新しいタイプの差別
- 差別はもうなくなっているにも関わらず、マイノリティが優遇措置を受けるのはマジョリティに対する差別であるという考え方
- 合理的な差別
- 差別に合理性があることは認めつつも、市民としての尊厳を貶めている
- ヒュームの法則
- 「である」という事実的な言明から「すべき」という価値判断は導けない
- 黙説法
- それと明言せずに意図を伝える
- 黙説法
- 「である」という事実的な言明から「すべき」という価値判断は導けない
- 統治功利主義
- ダーウィニアン・レフト
- 差別は意図的なものか
- 内集団びいき
- 狩猟採集社会で生得的に備わっているもの
- 群れの維持のためフリーライダーを許さない
- 現代社会の運営とは齟齬をきたす
- ポリティカル・コレクトネスは法の代わりになるか
- 近代的な法律とは基準となる責任理論が異なるのではないか
- 人間は意図もせず、結果も予見できない行為の責任をとれるものなのか
- ニーチェ的な畜群=弱者
- 強者に負い目を背負わせることで、弱者が強者を支配する
- 負債を肩代わりしてくれるスケープゴートを探し出し、魔女狩りのように炎上させ、自らの行為の責任をやすんじて免除する
- 責任のインフレからの無責任の体系
- どこにでも責任があるゆえにどこにも責任がない
- 責任のインフレからの無責任の体系
- ニーチェ的な畜群=弱者
- ポリコレの息苦しさから解放されるには
- 責任のインフレに耐える強い主体をつくる
- 近代リベラリズムが理想としたような「自律」的な「個人」をさらに推し進める
- 同意やコンプライアンスを強調し、プライベートでも他者との関係を義務や権利が発生する契約関係とみなす
- そのような契約関係をもとに物事を判断、遂行できる「市民」の育成に期待する
- 果たしてそれは可能か
- 認知科学的には人間はみずからの行動すべてを意識的に制御できる訳ではない
- 近代リベラリズムが理想としたような「自律」的な「個人」をさらに推し進める
- 「責任」概念を放棄・破棄することを社会的基準として採用する
- 認知科学などの知見による自律的な個人は前提にできないとする立場
- 一見自由意志に基づいて選択したかに見える行為が、周囲の環境や身体的な特性によってあらかじめ決定されていたとしたら
- 刑罰理論における応報主義と帰結主義を参考にする
- 犯罪行為に見合った罰は当然の報いとする応報主義
- 刑罰によって抑止効果が期待でき、社会的な利益があるとする帰結主義
- 差別を禁止する法が制定されるとしたら帰結主義的にならざるをえない
- 近代的な法が前提とする行為者の意図や予見可能性に基づいた責任とは異なる
- 「抑止」「予防」「治療」へと還元される
- 行為者の責任は追及されず責任のインフレからは解放されるが、別の「統治」を導く
- 「自律」的な「個人」の確立が目指される一方でそのような「市民」像を根底から否定するような「統治」が導入されている矛盾
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でもナッジの場合、ほんとに徳が高くなってるわけじゃないでしょう。ナッジされて、その結果としてよさげな振る舞いをするようになってるだけ。そうではなくて、悪と向き合い葛藤し、有徳性を獲得することが、徳の高い人間になることじゃないか、そういう徳が視野から外れてしまっているんじゃないか。 ―千葉雅也
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- 責任のインフレに耐える強い主体をつくる
- 内集団びいき
- 君主制と民主主義パラドックス
- 自由主義と民主主義の両立は経済成長によって可能であるかに見えた時期限定の産物
- 君主制はリベラル化することで、延命しつつ自由主義と民主主義を「超越」して「調整」するものとして機能している
- 日本の皇族は国民健康保険に入れず医療費は全額負担
- 基本的人権がなく、法で認められた身分制度
- 基本的人権がない人間によるポリティカル・コレクトネスの主張
- ブレヒトの異化効果
- 登場人物に感情移入させる感情同化を批判
- 自分の世界から芸術の世界に誘い込まれるのではなく、目覚めた感覚をもって自分の現実的な世界に連れていかねばならない
- あえてネタバレする
- 差別論として読みかえる
- みずからの身ぶりに差別を発見すること
- あるアイデンティティに「感情同化」する危険性
- ポリティカル・コレクトネスの徹底はある政治思想によって統制するという点では全体主義と同じともいえる
- 保守はそのように攻撃し、ある点では真理をついている
- しかし、ポリコレを肯定することは全体主義の支配に手を貸すことではない