吉岡洋
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- https://chez-nous.typepad.jp/tanukinohirune/
- スピノザ哲学とデザイン
- デザインについて何か言ってるのは珍しい
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まず考えてほしいことは、デザインには限りがないということである。たとえデザインが何らかの目的のための手段だとしても、この手段−目的の連鎖には、原理的に終わりがない。たとえば製品や建造物のデザインは、もっぱらそれらを使う個人の好みによって決まるわけではなく、それを取りまく組織や集団の目的に深く関わっている。さらに、それら組織や集団は、より大きな社会制度とそれが目指す目的に従っている。それらはさらに、国家そのものや地球的な共同体の目的へとつながっており、この連鎖は究極的には人間の生そのもの、人類の生存それ自体の目的性へとたどり着かざるをえない。まるで人工知能研究における「フレーム問題」※1のように、たった一個の製品のデザインには、この世界そのものをどう理解するかということが、潜在的には含まれているのである。
- 良いデザイン、悪いデザインというのは意味と目的の連鎖を便宜上適当なところで切っているだけ
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自然の作動には目的はなく、だからどんな自然物も、より「完全である」とか、いまだ「不完全である」などと言うことは本来できない。つまり原理的な意味では、自然には「良いデザイン」というものは存在しないのである。けれども私たちはしばしば、自然の作り出す驚異的なデザインに、驚嘆しているのではないだろうか? 生物の身体の驚くべき形態、生物活動が作り出す様々なパターン、さらには悠久の物理科学的運動が地上や宇宙に刻み出す驚異的な形。けれどもスピノザに従うなら、それらは私たちが自然を擬人化することで現れるものであり、そうしたデザインの完全性は自然それ自体にではなく、私たちの認識の中に生じるものにすぎないということになる。
- 自然を人工物に置き換えて理解してしまっている
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何らかの思考の結果ではなくて、それ自体が思考そのものであるようなデザイン、いわば「圧縮された思考」としてのデザインの概念である。デザインをそうしたものとして理解するということは、翻って言うなら、思考を成り立たせる狭い意味での言葉、言語というものをあまり特別なものと考えすぎないということでもある。むしろ言語的思考とデザインとを、ひとつながりの連続したプロセスとして考えるということである。
- デザインを(比喩ではなく)言語として、言語活動もまたデザイン的側面を持つものとして考える
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- デザインについて何か言ってるのは珍しい
- IAMAS在籍時に影響を受けた思想家
- 常勤していたのは6年と短かったので、自分の在籍時とほぼ被っていたのは幸運だった
- 専門学校と大学院をIAMASという名前で統一した際の名称を考案した
- 自分が入学してすぐイラク戦争が開戦して、三輪先生と共に緊急の自主ゼミが開かれ「大学に来たな」という感じがした
- シラバス上は『現代思想』となっていたが現代思想史的な内容はほぼ扱わない
- 当時はそれが不満(というか自分たちが馬鹿だからしてくれないと思っていた)だったが、あのような講義こそが彼の考える思想であり、それを享受できたのは贅沢だったと思える
- テレビや最近の流行みたいな話から徐々に哲学上の問題に接近するのが彼のスタイル
- 価値観を揺さぶられた言葉の「俺は皆がちょっとずつ悪いことをする世の中が好きや」というのは彼の授業でポリティカルコレクトネスについて話していた中で紹介された彼の友人のエピソードで語られた言葉
- たばこをポイ捨てしたら、それを拾って家までついてきた人に向けて言ったらしい
- 潔癖症的な態度、思考に陥らないための話がよくなされていたように思う
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人文ウォッチは、SNSウォッチもしくは炎上ウォッチなのだというご意見はよくいただくのだけど、だいたい人文的なものは(それぞれの時代の)SNS的な言説や炎上が動かしているのである。これは理論的に言えるのだけど、もっと上手くYouTubeの喋りで伝えられるといいな。
- ゲンロン人文ウォッチ 植田将暉
- やはりそういうものらしい
- 「こうだと思っていたことが、実はそうじゃなかった時に生きていると感じる」もそうだが、知識を増やしても、物の見方がぐらつかなければ哲学的な観点からは意味がないというのが彼の考え
- 価値観を揺さぶられた言葉の「俺は皆がちょっとずつ悪いことをする世の中が好きや」というのは彼の授業でポリティカルコレクトネスについて話していた中で紹介された彼の友人のエピソードで語られた言葉
- 記憶している話
- 「何かに騙されないためには対象をリスペクトするべきだ」というのがある
- 歴史を紐解くと、「キリスト教なんて駄目に決まっている」と言っていた人ほどコロッと改宗している
- 「芸術は何かに負けたものがやるものであり、『芸術で勝つ』というのは語義矛盾である」
- 女装をする会社員のドキュメンタリーで、最後に家族と一緒に暮らす様子を映し、そちらを「普通の顔」と表現した番組を批判していた
- どちらかが本当で、どちらかがフェイク、ということはない
- 全体としてその個人を作り上げている(分人主義?)
- テンプル・グランディン『動物感覚』
- 自閉症でロミオとジュリエットが何をしているのか分からない
- 動物の感覚が分かる
- 牛が屠殺場に行く途中にすごく暴れるので、皆は死を直観して嫌がっていると思っていたが、テンプルによれば水溜まりをなくせば良いという結論だった
- クリプキ
- 内容は覚えていないが東浩紀『訂正可能性の哲学』で言及されていたのと、たびたび読もうとして挫折している
- 自分にコントロールできない問題で悩まない
- 柳に雪折れなし
- 「何かに騙されないためには対象をリスペクトするべきだ」というのがある
- 後になって考えてみるとロールズの反転可能性みたいな話もしていたように思う
- ドゥルーズ=ガタリの器官なき身体とかも
- 正式な授業以外で色んな自主ゼミを開いていた
- アラビア語講座
- アラビア語で書かれた記事の中にビンラディンの文字を見つけられるだけでも全然違う
- 中国語講座
- シンガポールからの留学生ジャムセンによる講座
- 難し過ぎてすぐ終わった
- 数字の発音ができず皆Fワードになってしまい爆笑
- Perl講座
- アラビア語講座
- 値段表記のない居酒屋の常連
- 「値段表記がないからこそ本当にリラックスできる」(伝聞)
- 一緒に行くと安くなる
- 自分が対話可能な距離にいた唯一の「哲学者」であるので一般的な比較が難しいが、千葉雅也だったり東浩紀だったりがカジュアルな会話や著作で述べることと共通する態度があり、そこに興味がある
- 学術会議でも話題になった
- 2016–2022 美学会会長
- 小田部胤久が2013–2016の会長
- 小田部先生の講義を頭に入れて聞くと吉岡先生の話の面白みが増す
- 川崎弘二は京都大学の講義に潜り込んでいたらしい
- 退職記念トークイベントでの室井尚によると「吉岡は聞く人で、合わせる人なので本当の力が引き出されていない」
- https://www.youtube.com/watch?v=sMzx05pNXOw
- 京大時代はカントへの興味、当時誰も注目していなかった思想や潮流に対するアンテナが際立っていた
- 論文も書かず、単著もあまり出さない
- にも関わらず重役に抜擢され続けてきたことがすごいと思う
- 吉岡洋『AIを美学する なぜ人工知能は「不気味」なのか』
- 吉岡洋『美学のアップデート』
- 消えてしまったブログからも加筆して収録されている
- むしろ美術展やフェスティバルに関わる
- 自分が学生時代に感じた不満と近い
- 資本主義の美学
- 同志社大学の講義
- 美的体験と目的の関係性、美的価値の話から千葉雅也のサイゼリヤに関する投稿への言及もあって面白い
- https://youtu.be/-QqJ-I-KYOc?si=jI5CeCmRPeijk\_b2
- 好き嫌いの多くは条件付けによって形成されている
- 美的判断ではない
- 直接的に感覚しているように思えるが、そうではない
- 美学は好き嫌いを超える直観的経験
- ちゃんとした質問と本人に興味がないことが見透かされる質問
- 目的が外にある
- サイゼリヤの注文方法は時代の趨勢や歴史の必然などではなく特定の経済政策の結果出現したに過ぎない
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なんとか・イン・レジデンス
アーティスト・イン・レジデンスは芸術家がある地に滞在しながら制作すること。facebookも行っていて、社員と同じように雇っているらしい。活動支援や節税目的では…
メディアアート
装置を使った表現(前田真二郎による解説) 装置と道具の違い 装置を作るだけでは表現にならないという前田さんのスタンスがあったと思う 藤幡正樹 Culture P…
千葉雅也『現代思想入門』
hysysk 驚くほど吉岡洋が言っていたことに近い デリダ、ドゥルーズなどの思想を平易に(というか自分の言葉で)解説している 何か問題が起きたときに再発防止策を…
吉岡洋『AIを美学する なぜ人工知能は「不気味」なのか』
吉岡洋 太宰治『人間失格』からの引用 陸橋や地下道は有用性ではなく楽しませるためのサーヴィスだと思っていた 人は必要性や有用性だけで新しいものを作る訳ではない …
東浩紀『訂正可能性の哲学』
from 読んでる本 ひとは言葉を使ってゲームをしている ヴィトゲンシュタイン あるゲームをしていたつもりが、いつのまにか別のゲームに入り込んでしまう 家族的類…